展覧会概要

展覧会「日比野克彦を保存する」開催にあたって

このたび文化財保存修復センター準備室では、展覧会「日比野克彦を保存する」を開催するはこびとなりました。渋谷のマンションの一室にある日比野克彦氏のアトリエは、制作の場、事務所、倉庫、あるいは生活の場といった多様な役割を経ながら現在に至り、まさに日比野克彦という人間を表す空間といえます。しかし、その空間は老朽化による建て替えのために間もなく失われてしまいます。

準備室ではアトリエの保存を急務と考え、このたび保存プロジェクトを発足しました。文化財保存の対象というと、油絵や仏像を思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし、アトリエの保存を考える上では、作品のみならず、画材、生活用品、壁の落書き、マンション、さらにはアトリエが存在する渋谷の街までもが保存の対象となります。本展覧会では、アトリエを構成する各要素について、文化財保存分野における手法をはじめ、様々な保存手法を提示することにより、アトリエの保存、ひいては日比野克彦の保存に挑みます。

また今回、芸術と保存をテーマに東京藝術大学の先生方にインタビューを行いました。併せてパネル展示をお楽しみください。本展覧会が芸術に携わる東京藝術大学の学生をはじめとして、全ての来場者の方にとって、芸術の保存をリアリティのあるものとして感じられるきっかけとなることを願っています。

 最後になりますが、本展覧会の開催にあたりご協力いただきました関係各位に御礼申し上げます。尚、本展覧会は文部科学省 機能強化事業(共通政策課題)「新たな共同利用・共同研究体制の充実」予算によるものです。

文化財保存修復センター準備室
室長 桐野 文良

プロジェクトの経緯と目的

 2021年に日比野氏が長年アトリエとして使用してきたマンションが建て替えに伴い失われることになりました。2020年6月3日、文化財保存修復センター準備室は保存を急務と捉え、協力メンバーとともに、アトリエ保存プロジェクトを発足しました。

 2020年6月13日、アトリエ保存プロジェクトメンバーが、はじめて日比野氏のアトリエを訪れました。室内には、多くの作品、使用された画材、様々な記録類などが保管され、日比野氏の制作過程が確認できました。また、生活用品や廃棄予定のもの、また一見した限りでは何かわからないオブジェなども置かれていました。今後、保存プロジェクトを進めていく上で、❶量の把握、❷名付け、❸分類の3つの作業を行い、分類された各領域について保存方法を調査·検討することになりました。

 本プロジェクトは、アトリエを包括的に保存することで、日比野克彦という人間の保存を試みるという非常に挑戦的な取り組みです。従来、文化財保存分野における保存対象は、主に作品や制作に関する資料などに限定されてきました。今回のプロジェクトでは、日比野氏の長年に渡る生活の痕跡、人々の記憶、渋谷の街までをも対象として保存するために、分野の枠を超えた新たな文化財保存手法を提案することを目的としています。

アトリエ保存プロジェクトの工程

❶量の把握…マンションの建て替えに伴い、室内にあるものはいずれアトリエ以外の場所に移動しなければなりません。場所には収蔵の限界があり、取捨選択の決断が必要となるため、寸法と数量の把握を行いました。

❷名付け…アトリエにあるものの概要を把握し、他のものと区別するため、暫定的に名前をつけました。日比野氏への聞き取り調査により、当初は用途が不明であった物品にも名前をつけることが可能となりました。

❸分類…今回は、作品だけでなく、作品の生まれる周辺にも目を向けて、中心から周辺へ同心円状に広がるイメージをもとに分類を行いました。さらに、アトリエの包括的な保存を考える上では、室内にあるものだけではなく、壁の落書きや、マンション自体、マンションのある渋谷という場所もアトリエを構成する要素と捉え、最終的には図に示す5つの領域に分類しました。そして、分類した5つの領域について、保存事例の調査や今後の保存方法の検討を行いました。

文化財保存分野紹介

文化財保存学とは、文化財を保存・修復し、次の世代に伝えていくための研究を行う学問分野です。その研究対象及び内容は多岐にわたりますが、主に文化財の修復や古典技法の習得と共に、適切な保存環境の維持による劣化の抑制方法等の解明を目指しています。文化財の材料や劣化状況を特定し、技法や材料の調査及び研究等を行うときには、自然科学的手法を用いる場合もあります。

近年、地震や水害といった自然災害により、数多くの貴重な文化財が被災しています。また、文化財の活用に関する法改正、さらには従来の保存手法のみでは対応が困難な現代アートやプロジェクト型作品をはじめとする新しい芸術作品の登場など、文化財保存分野は多岐にわたる問題に直面しています。このような課題を解決するためには、文化財保存分野のみならず、芸術、人文科学、自然科学分野の専門家が集い、それぞれの研究分野を生かした学際的なネットワークを形成することが重要だと考えられます。そのために、文化財保存修復研究拠点の設立が待ち望まれています。

東京藝術大学 文化財保存修復センター準備室について

 東京藝術大学では、文部科学省予算「機能強化事業(共通政策課題)新たな共同利用・共同研究体制の充実」の採択を機に文化財保存修復センター準備室を開設し、これまで共同研究、講演会、展覧会などさまざまな活動を展開してきました。本学の文化財保存修復の教育・研究に関する歴史と伝統、幅広い芸術分野における研究実績、高度な専門性をもった人材を基盤として文化財保存修復研究拠点を設立することにより、芸術の保存における課題を解決し、文化芸術の発展に寄与することを目指しています。