展示会内容

日比野氏の長年のご友人であり、アトリエのあるマンションに在住する成田宏紀様へのインタビュー 

名前:成田宏紀
現職:アートディレクター
日比野氏の長年のご友人であり、アトリエのあるマンションに在住

80年代の渋谷の街の意義とは?

80年代、渋谷は様々なカルチャーが生まれる発火点だった。ストリートから生まれたアートがマーケットも包み込み、若者たちのライフスタイルにも影響を及ぼしていた。消費社会の中心であるデパートがアートの中心の一つとなっていたこともその象徴と言える。アーティストや表現者にとって渋谷は「目指す場所」となっていた。

渋谷の街の変化と日比野氏の作品の変化は関係していると思いますか?

日比野氏の作品と渋谷の街の変遷は直接作品にはリンクしていないが、街の変遷と作品のテーマの距離を測る上で関係性も感じられる。新しいカルチャーが生み出される場所だった80年代から、90年代に移るとコギャルに代表されるような大衆的なエリアになり、さらに現在は再開発によって商業的な街へと変化している。日比野氏も、活動を始めた80年代には渋谷の街から大きな刺激と影響を受け、作品にも反映されていたと思うが、それ以降はより思索的な方向へとテーマを深め、表面的な渋谷の街との距離は離れていったように感じる。活動の拠点も日本の各地へと広がっていった印象がある。

naritaと日比野氏の出会いは?

1983年頃からの知り合い。最初はアーティストとキュレーターとして仕事で知り合い、その後は共通の趣味であるサッカーなどを通じて友人になった。日比野氏の作品を初めて見たのは1982年頃。知人から藝大にすごいやつがいるよと言われ、代々木にあったギャラリーに見に行った。イラストレーションでもアカデミックな絵画でもない、不思議な存在感を持った作品で、その瑞々しい感性に驚いた。当時New Paintingという世界的な絵画のムーブメントがあったけれど、日本からも新しい表現者が生まれてきたような衝撃を受けた。

naritaの考える日比野氏とは?

感覚的な感性と思考の中から生まれる理知的な部分を同時に持っている。親分肌で、みんなが惹きつけられる魅力がある。だからこそ、時代の旗振り役としての役割を求められることもあったが、時代に流されるのではなく自分の美意識を変わらず持ち続けてきた。渋谷の街が変わっていったように、求められる役割も環境も時代ごとに変化してきたが、常に変わらないHIBINOを表現しているのはすごいと思う。

これからの日比野氏への要望は?

現在の姿以上に求めることはあまりありません。が、正直に言うと初期の頃の作品が好き。お互い随分歳を取ってしまったけど、できればまたあの頃のような瑞々しい作品が見てみたい。