展示会内容

アトリエのあるマンションにお住まいの方々へのインタビュー

名前:K様 

昭和40年(1965年)からアトリエのあるマンション在住。マンションの歴史や周辺環境の変遷に詳しい頼れる長老。

名前:H 様ご夫婦

アトリエのあるマンション在住。渋谷で生まれ、渋谷で育ち、渋谷で暮らす生粋の渋谷人。

アトリエのあるマンションの特徴とは?

K様:昭和39年の東京オリンピックの年に建ちまして、マンションとしては、おそらく都内で初めてのマンションでありまして。フルメンテナンスですから冷暖房が完備。それから24時間管理体制がしっかりしている。それからお⼿伝いさんが常時いて1時間250円でお願いができた本当のフルメンテナンス。⼊る⼈たちの意識はともかく管理は管理会社がすべてやる。他⼈との⼲渉はあまりしない。⾮常に独⽴強い⼈が多かった。

当初、マンションのステイタスが非常に高かったと伺いましたが実際には?

K様:売却代⾦が1000万前後でありました。私の⽉給が2万円⾏かないときの1000何百万ですから、ここに⼊るってこと⾃体、⾮常に私⽣活が⾼いということ。管理費が7000円ですから、遺産相続で貰ってもですね、苦労したんですね。2万円行かない給料でね、800万か1000万のマンション入るってこと普通は考えられない。

マンションの管理はどなたがされていましたか?

K様:管理会社はここを建てた会社に全部お任せして会計検査もやってもらった。2~3年経った時の会計検査の結果を⾒た⽅が、どうもこれは改竄されていると。それで管理会社を辞めさせなきゃならないと⾔うので組合ができたんですね。管理組合ができたのは43~44年。

昭和30年頃のマンション周辺や渋谷はどのような環境だったでしょうか?

H様:私が⽣まれた時、(明治通りは)もうすごい砂利道だった。⼟管(写真)があるんですけど、この⼟管をこの⼟に埋めるためにしばらくうちの前に⼟管がいっぱい。これ、昭和30年くらいだと思うんですけど、⼦供の遊び場になってた。真ん中にもまだバラックがいっぱい建ってたんですよね。

渋谷に住む人達の視点から見る、地元渋谷の絆とは?

H:殆どこの辺を動き回っている⼈は地元の⼈ではないですよね。そんな感じがしますよね。だから本当に渋⾕の事を良くしようと思ってる⽅がねえ、居てくださればいいけれど。

K様:国学院があって、⻘⼭学院、実践⼥⼦⼤もある。学校に隣接している地区。それと、僕は商業地区とは思わないんだけれども、やっぱり住宅地ですよ、本当は。マンションに住んでる⼈たちは他⼈との⼲渉はあまりしたくない。そういう⼈たちがここに住むことによって1つの集落、1つの村、そういう意識をみんなが持ちうるかどうか。⼀つの絆を作ったマンションになれば、マンションとしてはいいと思うしそれが結局はこの社会、この並⽊橋3丁⽬、この周辺の⼈たちとのつながりにも繋がっていくのかなあと。

日比野氏のアトリエがマンション内に存在することをどう思いますか?

H:⾃慢できると思います。

K様:あんまり⽇常的にお付き合いが無いんでね、話すこともないんですけども、ただ⽞関に絵を2つ頂いて飾ってあるのでね、あれが先⽣との付き合いの結びつき、⽷みたいなものかなあと思いますね。ありがたかったです。

アトリエの印象は?

H様:アトリエですよね。やっぱり芸術家の⽅のおうちだなと思います。同じマンションでも住まいとはまた全然違いますし。